金原弘光 カネハラヒロミツ

愛知県尾張旭市出身 178cm/89.3kg
1970年10月5日に尾張旭市で生まれる。
高校時代では陸上で活躍、 UWFの前田VS高田戦を見て、プロレスラーになろうと決意し東京に上京し
新日本プロレス学校に入学。(同期には、天山、西村、ザ・グレートサスケなど)
1991年3月UWFインターナショナル第1回入門テストに合格。 新弟子時は高田延彦の最初の付き人をつとめる。
1991年12月22日両国国技館でVS前田戦でデビュー結果はドロー。
1992年2月29日後楽園の前田戦でプロ初勝利。
1992年第1回Jrリーグ戦では決勝で高山善弘を破り優勝。
(先輩には安生・宮戸・田村・後輩には高山・桜庭・ヤマケンなど)この頃にはタイに何度もキック修行にでかけ
現地ではキックの試合も経験し勝利を収める。
1995年10月9日東京ドーム 新日VSインター全面戦争では第1試合で桜庭と組みVS永田、石沢(カシン)と名勝負を繰り広げる。
その後、対抗戦ではキックと関節技を武器に大活躍!
シングルでは大谷、高岩、野上(AKIRA)らに勝利、タッグマッチでは長州・藤波らとも対戦。
1996年3月1日日本武道館にてキックルールでチャンプアゲッソリトと対戦5Rフルに戦いおしくも判定で敗れる。
1996年12月27日後楽園にて、Uインター解散。その後、キングダムへキングダムでは桜庭と共にエースとして大活躍。
VS桜庭戦ではハイキックでKO勝ちも。
1998年1月28日代々木にてキングダム解散。その後リングス入団。
1998年3月28日I・ミーシャ戦では敗れるもその後はなんと13連勝を記録(D・フライ、H・ナイマン、G・サザなど)Vハンに敗れるまで続く。
1999年2月21日横浜アリーナにてバーリトゥードルールでヒカルドモラレスとも対戦20分間戦い判定で惜しくも敗れる。
1999年10月28日代々木からエスケープなしのKOルールに変わる。第1回戦KOKトーナメントでは初戦J・ホーンに勝利。
2回戦ではD・ヘンダーソンに微妙な判定負け、おしくも決勝トーナメントに進出ならず。
2000年3月にはアブダビにも出場(アローナにポイントで敗れる)
2000年5月26日東京ドームコロシアム2000ではマリオ・スペーヒーと戦う。(判定負け)
2000年7月22日リングス・アメリカ大会(ハワイ)ではミドル級のワンデートーナメント決勝で優勝。
2000年12月22日大阪 第2回KOKトーナメント初戦はA・カカレコをアームロック、2回戦T・サワー(KO)で勝利し、
決勝トーナメントへ、準々決勝はD・メネーをKOで、準決勝はA・ノゲイラと負傷をおして戦うも残念な結果に終わったが、
日本人では唯一のベスト4に。 その後、田村・山本らがリングスを離脱後はエースとしてアローナ、M・ヒーズらとも対戦。 膠着しないスタイルで大活躍。
2001年12月21日横浜アリーナ P・カフーン戦でデビュー10周年を迎える。
2002年2月15日横浜リングス 解散 。その後半年間はケガの治療に専念し、その後フリーとして活躍。
2002年11月3日 PRIDE23 東京ドームにて Vシウバとミドル級タイトルマッチで復活!惜しくもTKOで敗れる。
膝の手術から約1年半ぶりの2004年5月23日PRIDEにてミルコ・クロコップ戦にて復帰。激闘を展開した。
2005年11月5日にはHERO'Sに参戦ハリッド・ディファウストと韓国ソウルにて闘った。
その後パンクラスに参戦し、2007年3月18日川村亮戦の後,引退を発表するも、その後撤回。
2008年11月24日 プロレスにも復帰し、IGFに参戦した。
2009年4月闘いの場を総合格闘技DEEPに移し、次世代の選手達と激闘を展開。
2011年3月 ZERO1のマットに参戦
2011年11月 自身のデビュー20周年記念興業 U-SPIRITSを開催
2011年6月 高山善廣デビュー20周年マッチとしてプロレスリングNOAHに初参戦
2013年3月9日、U-SPIRITSagainで近藤有己と戦い、総合格闘技 ラストマッチを行った。
現在はプロレスラーとして各団体で活躍中。